三遊亭楽太郎(左)は6代目三遊亭円楽襲名が決まり5代目円楽と握手する 10年に6代目三遊亭円楽を襲名する三遊亭楽太郎(58)が17日、師匠の5代目円楽(75)とともに都内で会見した。昨年引退宣言した円楽は前代未聞の名跡の生前贈与で本名の「吉河寛海(よしかわ・ひろうみ)」に戻るが、楽太郎は「師匠の命ある限り、僕にとっての円楽は師匠。5代目も6代目も続けて良かったと言われるようになりたい」と話した。襲名披露は10年春で、全国ツアーも予定している。
名跡の生前贈与に、会見に臨んだ楽太郎も複雑だった。「以前から『頑張れば、円楽をあげるよ』と言われていたけれど、7月上旬に襲名を告げられたときは『嫌だ』と思った。子として親の老いを見たくないし、師匠が円楽じゃなくなることを認めたくなかった」と振り返った。70年に入門して38年、楽太郎にとって円楽は尊敬する師匠の名跡だった。高座で「師匠も弱っているので、円楽になるまで3年待って」と笑いをとっても、本当の思いは生涯、円楽は師匠のものだった。
「でもね、思ったんですよ。5代目と6代目が共存してもいいと。円楽は師匠が大きくした名で、僕や一門、落語界にとって円楽は師匠、5代目です。続けて良かった落語家は少ないので、5代目も6代目も良かったと言われるようになりたい」と続けた。
円楽も楽太郎の精進を認めての禅譲だった。「以前は落語で気に入らないところもあったが、良くなっている。大勢の意見を束ねていく能力も持っている。襲名しても楽太郎なりにやってくれると思う」と信頼を寄せた。人工透析に加えて脳梗塞(こうそく)で倒れ、昨年2月に引退宣言。その後も胃がん、肺がんの手術を受けるなど満身創痍(そうい)。「もう落語はできない」と心の片隅にあった「復帰」の思いが消えた中で、円楽の名を埋もれさせたくなかった。譲った後は本名の「吉河寛海」に戻るものの、5代目円楽として一門をサポートする。
楽太郎は「襲名は円楽という名跡を守り、しぼませないでくれということで、最後の親孝行。師匠の貫禄(かんろく)、押し出しはかなわないが、知恵とキャラで売っていきたい。襲名時は60歳でひとつの節目。ひた走りたい」。襲名披露興行は10年春。落語協会、落語芸術協会、上方落語協会も協力を約束し、全国ツアーも予定している。空席となる楽太郎の名については「オークションにかけようかな」と笑いを誘った。
(8月18日配信 日刊スポーツ)
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