有馬記念(ありまきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝内回り2500mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正賞は日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞、農林水産大臣賞。
1955年まで、暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが、東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が、中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとして、ファンがより親近感を持てるようにと、プロ野球のオールスターと同様に、ファン投票による出走馬の選定という当時前代未聞の画期的な選抜方法(他に推薦委員会による推薦馬選出方法)を用いた[2](のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用)。第1回中山グランプリは1956年12月23日に中山競馬場の芝外回り2600mで開催された[3]。
しかし、第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月10日に提唱者の有馬が急逝したため、氏のこれまでの数々の功績を称えて、第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。期せずして、これは日本の公営競技等のレースで、レースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となった)。
また、出走メンバーの豪華さや夢のあるレースを目標に創設されたことから、ドリームレースや競馬の実力日本一を決めるレースなどとも言われる。その異名に違いはなく、これまでも中央競馬の歴史に残る数々の名勝負や名場面を生んでいる。中央競馬の一年間を締めくくる総決算として、この日は競馬ファンならずとも競馬で盛り上がる一日となる。
但し、有馬記念を最大目標にしてくる陣営は少なく、たいていは秋のGIシリーズ(菊花賞、天皇賞(秋)、ジャパンカップ等)に最大目標を定め、何回かレースに出走してくる馬が多いのが特徴で、疲労残りの馬が多いのは事実である。そのため、このレースで勝つには連戦に耐える馬のタフさも求められる。特に、中長距離レースの天皇賞(秋)、ジャパンカップ、そしてこのレースを制した馬には追加賞金が与えられるが、馬の負担を考えれば、この3レースを同年に制するのは至難の業であり、その最後の難関となるのがこのレースである。
競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。
ファン投票により出走馬を選出するオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない企画であった。
なお、地方競馬との申し合わせにより長らく12月28日から1月4日の間は中央競馬の開催が行われなかったが、2003年の第48回有馬記念では初めて12月28日に行われた。
1996年の第41回競走で記録した売上金額の875億円は世界で最も勝馬投票券の売上のある競走としてギネス・ワールド・レコーズに認定・登録されている。
現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。
1-12,4-12
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