数多くのギャグ漫画を産み出し、世の中を面白くすることに情熱を傾けてきた赤塚不二夫さん。98年に食道がんの手術をし、闘病中に車いす生活を余儀なくされても、なおテレビ番組に出演するなど精力的に活動を続けた。病床では新たな作品の創作に意欲を燃やすなど“生涯漫画家”を貫き通した人生だった。
「人間、死ぬときは死ぬんだよ。それまでは一生懸命仕事をしようと思ってね」「ギャグを徹底的に描いていきたい」。生前、笑顔でこう語っていた赤塚さん。ビデオで古今の喜劇映画を鑑賞するなど「本当の笑いとは何か」という哲学を終生追い求めていた。
食道がんが発見されてからも創作意欲が尽きることはなかった。手術から約2年後の00年9月、「目の見えない人にも楽しむ権利がある」と、点字の漫画絵本「赤塚不二夫のさわる絵本よーいどん!」(小学館)を発表。02年10月には、その第2弾「ニャロメをさがせ!」(小学館)を発売した。
02年に最後の闘病生活に入ったが、病床では新たな作品の創作にも意欲をみせていた。弥次さん喜多さんがアイヌ民族を訪ねるという珍道中のギャグ漫画の構想を温めていたという。
トキワ荘に集った漫画家仲間の中では一番の遅咲き。シュール、ナンセンス、ドタバタ、アドリブの利いたギャグ漫画に注目が集まるようになったのは60~70年代。世に残した作品やキャラクターはどれも自由な気分と解放感にあふれ、しかも優しさに満ちていた。
大の酒好きでも知られた。がんと診断されてからも酒を手放すことはなかった。がん闘病について取材が殺到すると「うちはね、今ちょっとした“がん景気”なんだ」と周囲を笑わせた。
ただ、アルコール依存症治療のため毎月のように入院して酒を抜く「ウオッシュアウト」の繰り返し。それでも、退院してはまた酒を飲み「ノーメル(飲める)賞だな」とユーモアたっぷりに話していた。笑いにまじめで破天荒、それが赤塚流の生き方だった。
(8月3日配信 スポーツニッポン)
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