忍者ブログ
最近の芸能・ニュース・スポーツにもの申す。独自の視点で「あっぱれ!!」か「かーつ!!」で斬り捨てます。
  • /10 «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » /12
プロフィール

HN:
オッパッピー
性別:
非公開
自己紹介:
じゃーん!!陽気な大島よしおです。

リンク
カテゴリー
最新記事
Sponserd by

RSS
アクセス解析
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



【2024/11/27 Wed 02:29】 *
 “おバカキャラ”で人気のタレント・上地雄輔が3日(日)、都内で自身初のフォトエッセイ『上地雄輔物語』の発売記念握手会を行った。上地はイベント前のインタビューで、同書が累計部数28万部を突破したということから“印税の使い道”について問われると「大人の嫌な質問だな~!」と苦笑いを浮かべ、「何も考えてない」とあっけらかんと答えた。

 幼少、青春時代から現在に至るまでの出来事を中心としたエッセイと、故郷である神奈川・横須賀などの思い出の地を巡るオール撮り下ろしの写真などが収録された同書。自身も企画や構成に携わり「紙の生地にもこだわった」(上地)という。タレントや俳優のほか、アイドルユニット・羞恥心としても活躍中で多忙を極める上地は「(同作を)寝ないで書きました。体力的にはきつかったけど、全然苦じゃなかった」と話し「応援してくださる方に“ありがとう”を伝えたい」と作品への思い入れを語った。

 同作の感想について報道陣から「“変なヤツ”なんですね」と言われた上地は「俺、全部変なんです」と開き直り、“フォトエッセイ”なのに文章の方が量が多いとの指摘には「フォトエッセイって言葉は今回初めて聞きました」とおバカ発言を連発。さらに、同作の出来栄えについては「点数つけられない。これ以上出来ませんって感じです」と明かし「俺の脳みそではこれが精一杯!」と満足しきった様子。また、お笑いコンビ・麒麟の田村裕の著書『ホームレス中学生』のように映画化される可能性については「(映画化する気持ちは)全然ない! オファーが来たら嬉しいですけどね」とかわしてみせた。

 なお、この日は約3万5千人もの応募から抽選で選ばれた1000人が握手会に参加し、会場は大歓声に包まれていた。

(8月3日配信 オリコン)
PR


【2008/08/03 Sun 17:07】 * 芸能 * トラックバック() * コメント(0)
 1日付けの一部スポーツ紙で、今秋にもTBSを退職すると報じられ、その動向が注目されていた同局の青木裕子アナウンサーが3日(日)、アシスタントを務める『サンデー・ジャポン』(同局・日曜10時~)に出演。番組内で青木アナは、一連の報道について釈明し、これからも同局で仕事を続けていくという意向を表明した。

 番組内でこの件について触れられた青木は「まずは(報道により)お騒がせ、ご心配をおかけしました」と陳謝。続いて声を震わせながら、1か月前に今後についての悩みを「会社の人に相談していたことは事実」としながらも「いろいろ話した結果、今後もTBSで頑張っていくことにしました」という結論に達したことを明かした。

 “ゆうこりん”の愛称で親しまれている青木アナは、慶応義塾大学を卒業後、05年に同局に入社。大学時代に女性誌のファッションモデルをしていたこともあるそのルックスと、明朗なキャラクターで人気を博している。一方、06年には不倫交際が、07年には番組ディレクターとの熱愛が報じられるなど、プライベートでの話題も尽きないが、放送内で共演者たちから「プライベートは?」と突っ込まれる場面では「(コメントは)控えさせていただきます」と顔を赤らめ、笑いを誘っていた。

(8月3日配信 オリコン)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080803-00000000-oric-ent


【2008/08/03 Sun 12:16】 * 芸能 * トラックバック() * コメント(0)
 数多くのギャグ漫画を産み出し、世の中を面白くすることに情熱を傾けてきた赤塚不二夫さん。98年に食道がんの手術をし、闘病中に車いす生活を余儀なくされても、なおテレビ番組に出演するなど精力的に活動を続けた。病床では新たな作品の創作に意欲を燃やすなど“生涯漫画家”を貫き通した人生だった。


 「人間、死ぬときは死ぬんだよ。それまでは一生懸命仕事をしようと思ってね」「ギャグを徹底的に描いていきたい」。生前、笑顔でこう語っていた赤塚さん。ビデオで古今の喜劇映画を鑑賞するなど「本当の笑いとは何か」という哲学を終生追い求めていた。


 食道がんが発見されてからも創作意欲が尽きることはなかった。手術から約2年後の00年9月、「目の見えない人にも楽しむ権利がある」と、点字の漫画絵本「赤塚不二夫のさわる絵本よーいどん!」(小学館)を発表。02年10月には、その第2弾「ニャロメをさがせ!」(小学館)を発売した。


 02年に最後の闘病生活に入ったが、病床では新たな作品の創作にも意欲をみせていた。弥次さん喜多さんがアイヌ民族を訪ねるという珍道中のギャグ漫画の構想を温めていたという。


 トキワ荘に集った漫画家仲間の中では一番の遅咲き。シュール、ナンセンス、ドタバタ、アドリブの利いたギャグ漫画に注目が集まるようになったのは60~70年代。世に残した作品やキャラクターはどれも自由な気分と解放感にあふれ、しかも優しさに満ちていた。


 大の酒好きでも知られた。がんと診断されてからも酒を手放すことはなかった。がん闘病について取材が殺到すると「うちはね、今ちょっとした“がん景気”なんだ」と周囲を笑わせた。


 ただ、アルコール依存症治療のため毎月のように入院して酒を抜く「ウオッシュアウト」の繰り返し。それでも、退院してはまた酒を飲み「ノーメル(飲める)賞だな」とユーモアたっぷりに話していた。笑いにまじめで破天荒、それが赤塚流の生き方だった。

(8月3日配信 スポーツニッポン)


【2008/08/03 Sun 08:53】 * 芸能 * トラックバック() * コメント(0)
 「おそ松くん」「天才バカボン」などの作品で人気を集めたギャグ漫画家、赤塚不二夫(あかつか・ふじお<本名・藤雄=ふじお>)さんが2日午後4時、肺炎のため死去した。72歳。葬儀の日取りは未定。自宅は東京都新宿区中落合1の3の15。喪主は長女りえ子さん。

 赤塚さんは1997年12月に自宅で吐血し食道がんであることが分かり、98年3月に記者会見で公表した。摘出手術を受けた後も急性硬膜下血腫などで入退院を繰り返す。02年4月に脳内出血を起こし、入院が続いていた。06年夏、看病していた妻眞知子さんが亡くなった。

 35年、旧満州(現中国東北部)生まれ。手塚治虫にあこがれて漫画家を志望し、中学卒業後の54年に新潟から上京、工員として働きながら漫画の投稿を続けた。このころ石ノ森章太郎の同人誌に加わるとともに、若い漫画家が集まった東京都豊島区のアパート、トキワ荘に移り住んだ。

 56年「嵐をこえて」でデビュー。一昨年、漫画家生活50周年を迎えた。62年に「少年サンデー」に連載し大ヒットした「おそ松くん」は、秩序を破壊するスピード感のあるナンセンスな笑いで、新しいギャグ漫画の世界を切り開いた。その後も「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」などヒット作を連発した。

 65年「おそ松くん」で小学館漫画賞、97年に日本漫画家協会賞文部大臣賞。98年に紫綬褒章受章。03年、東京都青梅市に「青梅赤塚不二夫会館」が開設された。

(8月2日配信 毎日新聞)


【2008/08/02 Sat 21:55】 * 芸能 * トラックバック() * コメント(0)
 TBSの青木裕子アナウンサー(25)が、同局を退社する意向であることが、1日までに分かった。

 現在「サンデー・ジャポン」などレギュラー6番組を抱える人気アナだが、自分を見つめ直す時間を求め、数か月前から周囲に退社の相談をしていた。今週初めにアナウンス室に正式に辞意を伝えたが、同局広報部はこの日、「退職届を出した、受理されたという話は聞いていない」とコメントした。

 青木アナはこの日、プロ野球オールスター第2戦の5回終了時のハーフタイムショーで「小倉優子音楽隊」のメンバーとして、NPBのオフィシャルソング「Dream Park~野球場へ行こう~」を熱唱したが、退社については語らなかった。

 来週発売の週刊誌で青木アナのプライベートな問題が報じられるが、その前に3日放送の「サンジャポ」で、本人自ら退社について説明する見込みだ。

(8月2日配信 スポーツ報知)


【2008/08/02 Sat 08:29】 * 芸能 * トラックバック() * コメント(0)
BACK * HOME * NEXT
BrownBetty 
忍者ブログ [PR]